身分保障 と ファッション
皆さんは、ファッションと聞けばどのような想像をするでしょうか?
ファッション、華やかさ、お洒落、トレンド、現代日本でのファッションの位置付けはそのような類に分類されるでしょう。
本来、服とはどのような用途があるのか?
現代のトレンドファッションのように、単に着用するに留まらず、ファッションとは身分を保証する制服だったのです。
本コンテンツは、ファッションと歴史の流れについて管理人の主観で記載しております。
ヨーロッパにおけるファッション
古代の文明は、布や皮を巻きつけるスタイルで世界でもほぼ共通のファッションをしていました。
違いといえば、生地が高級品か粗悪品か程度の違い。
その後、技術の推進とともに、階級、権力、戦争、経済発展の末、ファッションは大きく変化することになります。
中世のヨーロッパでは、貴族や王族といった階級制度のファッションは、女性は美と富裕の追求、男性は権力と地位の象徴をファッションに取り込みました。
現在のファッションと大きく違う事といえば、その身なりは実用性のかけらもない点でしょう。
現代との大きな違いは、貴族や王族といった階級には現在のような「仕事」「移動」「社交」の概念はなく、実用性など必要はなかったのでその必要はなかったと考えられます。
しかしながら、この階級や権力、地位や資産、領土や戦争といった人間文化そのものが、ファッションと大きく関わりを持つ事になります。
日本の文化とファッション
日本でもファッションの流動は世界と大きく変わりませんので、馴染みの深い日本の歴史から本コンテンツの内容を紐解き致します。
日本の文明で言えば縄文時代頃からファッション(衣類)についての歴史が記されております。
1.縄文時代の衣類は袖無しのベストの脇と前身頃中央を紐で留める。アンギンと言う衣類を着用してたのではないかと考えられています。
この頃の出土品の中に衣類は残っておらず、人骨に付着していた繊維などから古代の服装を推測しています。
2.弥生時代には、貿易も行われ、沖縄や朝鮮半島、中国大陸とも海を越えて交易していたことが各地の遺跡の出土遺物から明らかに なっています
この時代には、布製品を帯で留め、一部では色付きの生地もあったのではないかと考えられてます。また、勾玉、銅などの装飾物も多く見つかっており、身分の保証とファッションはこの頃には一般的に文化に取り入れられていたようです。
3.古墳時代に男性用の衣類として「ズボン」のスタイルが定着します。女性は現代で言うところのスカート。衣類は上下でセパレートされた衣服が主流となり男女で着用する衣類の違いも定着しました。
4.飛鳥時代 奈良時代には文明も発達し、過去にはなかったより政治的な文化が広がります。ファッションでは階級を冠と服の色や形で区分する冠位十二階と言う制度が設けられました。これによりより濃く階級、身分をファッションに取り込む形になりました。また仏教が広まり法衣ファッションも仏教と共に広まりました。
ここまでの経緯をみて、身分とファッションはより密接に進化してきたことが垣間見られます。
奈良時代を経て、日本は貴族が栄えた時代、平安時代を迎えることになります。この頃には身分と階級はハッキリとし、衣類も階級に伴ったファッショが主流となりました。
平安時代には、実用性のかけらものない十二単の衣装も流行し、お洒落という認識が文化に産まれ、和歌、琴、舞、などの文化も発展し、よりファッションは個性として自身の身分を示す用途としても用いられました。
以降、時代は戦乱の時代へ、戦術や戦略などの軍事も発展し、友軍や敵軍である事を認識するための家紋(ロゴ)装備品などにも注目されます。また実用性が重視され各々の職業にあった服装が定着します。
侍の時代を終えた日本は、文明の波とともに大きな転機を迎えます。多国との貿易によって衣類もさらに変化する事になります。
時代は他国との貿易戦争へと突入し、近代戦争の時代には、階級や身分は統一された服装、異なった装飾によって一目でわかるように進化します。
現代ファッション
現代ファッションでは、国から認められたライセンスにはバッジ(弁護士 議員 会計士など)を装飾し、警察官、消防士、自衛隊などが一目で見分けられるような衣類となっています。
ファッションは経済進化の過程で、身分の保証をする為にも用いられ定着し続けています。
民間では好きな物の選別が可能なほど、衣類は多く流通しており。ブランドで選ぶ、色で選ぶ、スタイルで選ぶ、実用度で選ぶ、様々な衣料品が流通しておりますが、例えば、嫌いなブランドをわざわざ着用する人はいないように、ファッションを見ればどんな事が好きな人なのか?などわかることもあります。
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